困ったときはお互いさま

設立までの経緯

西須磨だんらんの設立には

「月見山連合自治会」
「特別養護老人ホームあいハート須磨」
「西須磨まちづくり懇談会」
「フェニックスステーションにしすま」

という4つのキーワードが存在し、そのどれが欠けても「西須磨だんらん」は存在しませんでした。

 月見山自治会福祉部からの出発

1993年春、神戸市須磨区の月見山自治会福祉部に、10名の女性が加わり高齢者福祉の取り組みが始まりましたた。
それまで福祉部の活動は年に1度の「敬老友愛の集い」だけだったのですが、高齢者福祉を勉強する「福祉学級」と高齢者対象の「ふれあい食事会」が始まったのです。
「ふれあい食事会」は現在では高齢者・ボランティア合わせて約140名が登録し、社協から助成金も受けて、毎月行っています。
「福祉学級」では、老人ホーム見学や介護実習、車椅子実習、勉強会などの活動を続け、1994年秋には羽田澄子監督のドキュメンタリー「安心して老いるために」の上映会を隣の東部自治会と協力して開催し、約360名が参加、地域の人々が福祉に関心を向け始めました。

その3ヵ月後の1995年1月に阪神大震災が起こりました。月見山自治会館は幸い被害をほとんど受けなかったため、震災直後から会館を拠点として焚き出しや、救援物資が届かない在宅高齢者に毎日弁当を届けました。
地域の中に高齢者を見守るシステムが必要と感じました。

Ⅱ 特別養護老人ホーム「あいハート須磨」のオープン

震災の年の4月に、地域の中に特別養護老人ホーム「あいハート須磨」がオープンし、ホームと地域の交流が始まりました。地域の人々がホームにボランティアに入ることによって多くの人が高齢者福祉に関わり、深く関心を持つようになりました。現在30数名のボランティアがデイサービス、シーツ交換などのボランティアをしています。

元気な高齢者は毎月食事会に出席し楽しいときを過ごすことができますが、足が悪くなったり障害をもったりで食事会に出席できない人に対して何ができるのか、というのが福祉部の大きな課題でした。
1996年秋、「あいハート須磨」と月見山連合自治会福祉部の連携で、地域の高齢者への配食サービスが始まりました。現在、週に一度、20数名のボランティアが15~18食の昼食を在宅で外出が困難な高齢者に届けています。

Ⅲ 西須磨まちづくり懇談会

 「西須磨だんらん」の設立に至るまでに、さらに震災復興の中でおこなったまちづくり運動が大きな原動力になったことをはずせません。
震災復興計画として、40,50年前に立てられた道路計画である「須磨多聞線」が突如進められました。
西須磨の人々は反対運動だけでなく代替案を考え、「震災復興のまちづくりは道路や建物だけではない。福祉・環境の問題も一緒に考えよう」と1995年10月に「西須磨まちづくり懇談会」が発足しました。
そのメンバーで執筆した「住民主体への挑戦」という本は大きな反響を呼びました。

Ⅳ フェニックスステーションにしすま

 「西須磨だんらん」設立の直接のきっかけになったのは、震災復興事業の一つとしてまち上げて取り組んだに羽田澄子監督「住民が選択した町の福祉」の上映会でした。(1997年9月)
この映画は、ただ福祉の制度やサービスを紹介するものとは違い、地域の福祉力を高めるには何が必要か、という根源的問題を提起しています。
この映画のために作ったパンフレットで「安心して暮らせる福祉コミュニティを」「困ったときはお互いさまという助け合いの精神を軸にして、在宅福祉を支えるNPOを作ろう」と呼びかけました。
それに応えた約30名で6ヶ月に及ぶ検討会を経て、1998年5月10日、「福祉ネットワーク西須磨だんらん」が発足したのです。
のち、2000年10月には特定非営利活動法人(通称NPO法人)格を取得しました。

お問合せはお気軽にどうぞ TEL 078-731-2430(代表) 平日 10:00~17:00 (土日祝日はお休みです)

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